ご挨拶

代表挨拶

日本古来より神道と結びついている武道には尊い精神が根底にあり
武術・武道が人格形成の「術」であり「道」として受け継がれてきました。

故大隈重信総師範においても並外れた壮大な人生を歩みそこから培われてきた大隈重信氏ならではの織りなす技は卓越され、そこには技のみならず和を尊び、ゆるぎない事の善悪と正しさを持ち、強さと厳しさそして優しさを兼ね備え、その姿に私達は魅せられその在り方、魂は私達の中に生き続けています。

道場はとことん自分自身と向き合う場所であり
己の心の弱さを稽古により知り、そして心(鏡)を磨く場所である。
常に自分を律し立ち止まり自分を振り返ることができなければそこには何の成長もない。
自らを高め合う者としてあらゆる人にも「礼」をもって接し尊敬しあうこと。

これらは総師範の言葉ですが、もうひとつ、心にずっと残っている言葉があります。
「残心=全てに心を残す・心を贈る」
心が途切れることなく意識し続ける心構え。元々、武道および芸道に用いられる言葉で武道においては技を終え力を緩めている状態でも技にも相手にも油断することなく意識を払い続け、敵の反撃に備えて保つ心の構えのことです。
芸道においても一つの動作が終わったからとすぐに次の動作に意識を向けるのではなく余韻を残しておくことであり、茶道では美しい所作の継続とお客様が見えなくなっても見送る、一期一会の(今日と同じ出逢いは二度と起こらない)ことを噛みしめる、その日の自分自身を省みる、お客様のことを思い続けるというおもてなしの心、この余情残心を作法としています。
最後まで心を寄せちょっとした心遣いを思い込めて心を丁寧に残す。丁寧に贈る。
これでお終いではなく相手を慮(おもんばか)る優しい気持ちであり感謝する、また省みる、という自らの意思による気付きであり、心の隅々までいきわたり無限に広がっていくとても大切な言葉です。

どの世界も奥が深いのですが古武道においては命がけの戦いの中で鏡のような心「心法」が必須であり、人間力を向上させる「道」としていつの時代においても色褪せることのない価値をもっています。あらゆる分野に精通するその古武道の精神性や総師範の心得は心の持ちようを心の在り方を気づかせてもらえます。基本に初心に立ち返ることの大切さを忘れずに “今からここから何度でも” 今日まで承継され築き上げられてきた技と精神そして想いを胸に、生涯を通じ日々練磨し豊かな人間性を育み、後世へと繋いで参ります。

理事長 萩原 智子


師範挨拶

合気柔術は、合気を用いた柔術です。合気とは相手の気持ちと力の流れに合わせることであり、柔術とは人体の構造を利用して相手を制する技術を指します。大東流合気柔術にも様々な流派があり、目指すところは同じでも、どこに意識を置いてどの様に鍛錬を進めていくかは、それぞれの流派によって異なってきます。

 心技体(心:気持ちの持ち様・呼吸/目線の運用、技:手足などの身体の運用、体:足運び・重心の動かし方)のうち、どこの鍛錬からスタートし、どの様なバランスでステップアップしていき、どの様にして一致を目指すのかについては、絶対的な正解というものはなく、習得を目指す人の数だけ存在すると言っても過言ではありません。

武門会においては、特に心技体一致に意識を置くようにして稽古を進めます。心技体一致とはいっても、独りよがりに自分の心技体だけを一致をさせるわけでは無く、相手の心・体の流れも読み、合わせていくことが必要になります。

相手の心・体の流れを読んで(よく「気を読む」と呼称されます)そこに合わせていくのは、道場の中だけでなく社会生活の中でも大切なことになります。故大隈重信宗師は生前に「本番は道場の中にはない。普段の生活こそが本番だ。」とよく仰っていました。
 
より良い社会生活を送る一つの切っ掛けとして、また自らの心技体のバランスの在り様を見直す場として、道場での練習を活用して頂ければと思います。

師範 芳原 新也

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